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森のひととき

山で合宿
 保育園の4歳児の「山合宿」についていった。「森のひととき」という名の市島町のキャンプリゾート施設、この初秋のお泊りは、雪遊びや海水浴に比べると僕の出番も重労働ではないので、余裕をもって参加。夕方お風呂と夕食の間の時間に持っていったギターを出してミニライブ。本日の曲目は「ラジオ体操第一」と「夢をかなえてドラえもん」。ロッジの前に14人のこどもたちが集まって老人がギターを弾いている。絵になるなぁとまぁ悦に入って「森のひととき」は終了。さぁみんなでごはん、ごはん。
 

川遊び





川遊び

川遊び


新潟古町の朝、裏通り

古町の朝
 毎週日曜日の深夜TV番組、NNNドキュメントはいつもみている、といっても録画してあとでみるのが常。9月はじめ 『華をつないで 新潟・古町芸妓の灯』という番組があった。最盛期は祇園や新橋と並ぶ花街だった新潟古町は、最盛期400人もいた芸妓さんも減り、今はその芸を伝承してゆくのがたいへんで、日本舞踊の市山流を受け継いで伝えてゆこうとする女性をえがいたドキュメンタリーだった。
 北海道へいく途中立ち寄った新潟で早朝何のあてもなく散策した時、古い2階建ての民家に「芸妓組合」?的小さな看板があったことには気が付いたのだったが、その時は関心もなく通り過ぎてた。なにせ予備知識ゼロで歩いてたので、寂れた感じの繁華街の朝につい足が引かれて通過しただけだった。だれひとり歩いてもいないし、静寂そのもの。かつての一大繁華街とは全く気が付かなかった。
 およそ自分とは無縁の世界なのだが、自分と同年代の人が全く違う世界で生きて、親から受け継いだ芸を伝えていこうとしている姿に、「感動」というようなものではないが、ちょい心動かされるものがある。その現場周辺を歩いたことがある、ただそれだけなのだけれど。
 
 

能勢長谷へ2

能勢長谷
 駅で弁当とお茶を買って、バスに乗り10分ばかりで山を越えればもう能勢の田園風景、30分もすれば下車して長谷に向けて歩き出す。棚田の景観もすばらしいが、僕は途中の風景も大好きだ。道路から見上げる高台の民家、朽ちかけた小屋や、田んぼのなかを飛んでいる白鷺など、あきることがない。いつもカメラを向けるのは同じところの同じアングル、何度もいくうちにスケッチもたまってきた。
 能勢長谷
 早朝に来れたらベストなのだがそこまで勤勉でない。子どもの頃から決めたことはきちんと実行し、忍耐強く努力を重ね、思慮深くしっかりと考え、じっと机の前で勉強し、ひとたび決断すれば果敢に実行に移す、そんな人になるよう厳しく育てられていたら、もう少し絵も上手に描けたかもしれないが、如何せんこの通り。病気しない身体とストレスの感じない精神をもっただけでも、両親に感謝か。

能勢長谷へ

能勢長谷ヒガンバナ
 土曜日の午後思い立って能勢町長谷へ。一斉に咲いているヒガンバナの風景を楽しみながら棚田に到着。帰りのバスの時刻もあるので、さっさと道具広げてこのスケッチを描いていたら、上品な感じの老人から話しかけられた。亡くなられた奥様が写真が趣味でここにもよくいっしょに来てたので久々に足を運んだという。手にはその奥様の写真集。その中の1枚にこの民家の写真があった。夜に撮った写真で、そのころは周辺の民家はみんな茅葺屋根だったそうだ。何度も足を運んだのでこのおうちの方とも親しくなったとか。本には世界各地の美しい風景や人々の生活のすぐれた作品があり、田んぼの真ん中で本を開いて写真や病気のことに話を咲かせていた。「奥様は亡くなられたけどいい作品を残されましたね」と言うと、うれしそうな様子で、「若く元気なうちに(僕のことをさす)なんでもやっとかなあきませんで」と励まされた。自分に趣味はないが奥様の撮影にずっとつきあっていっしょに行動されてたとのこと。ここ長谷でも何時間もじっとシャッターチャンスを待ってお二人で過ごされていたのだろうと思う。その老人とお別れをした頃には、夕方が近づいてきたので、急いでかたづけて、バス停へ急いだ。
 ついでに以前描いた長谷のスケッチを何枚か掲載
能勢長谷12

能勢長谷10

能勢長谷11

京都岡崎に「東山魁夷展」へ

岡崎白川
フェイスブックにこんな投稿しました。絵は2枚とも10年ばかり前のものです。

きょうは昼から京都岡崎へ「東山魁夷」展へ。三連休の京都とあってだいぶ足がすくんだが、思い立ったが吉日。大規模な展覧会でその美しい空気感にずっと見入ってた。閉館後久しぶりに疎水周辺を歩いてみた。疎水記念館あたりが騒がしいので近づいてみると「ビールフェスタ」、名画鑑賞後のビールが飲めると思ったら「好評につき売り切れ」。5時半で売り切れるビアガーデンもどうかと思ったが、となりの動物園が連休で夜間特別公開。実に学生のころオランウータンの赤ちゃんが生まれたといって見に行って以来、あれから40年。すっかりきれいですてきな動物園に生まれ変わっていた。高い位置から動物たちを見れるような回廊とか見やすくて親しみの持てる園舎とか、一番驚いたのは動物の図書館を併設していたこと。園の外からでも中からでも出入りできるそうだ。ソフトクリーム食べながらでも読める図書館いいじゃないか、もっともこれも売り切れてたけれど。ちなみに園内の疎水を眺めることのできるところでは生ビールが飲めました。夜の動物園、昔行った白夜のコペンハーゲンのチボリ公園を思い出した。こどもや老人、家族やカップルが遅くまでゆったりと楽しんでる姿がさすがヨーロッパだなぁと思ったっけ。
昔描いた岡崎白川、帰りに確かめようと通過したが真っ暗だった。展示替えもあるのでもう一回いくつもりだが、また動物園に入り浸りそう。
岡崎白川

美瑛の森の中のレストラン

美瑛のレストラン
美瑛に行った日はあいにくの雨。添乗員さんは申し訳なさそうにされてたが、仕方ない、お天道様の気分次第だから。お昼ご飯に立ち寄った森の中のレストランの時も雨。梅雨のない6月の北海道とはいえ、昨今気候変動はかつてないできごとばかり。ブラン・ルージュという名の小さなレストラン。
下の絵は雨宿りの中描いた美瑛の風景
美瑛

ここは江差の仮の宿

江差横山家
 とうとう江差に到着。山車会館に入ると8月の祭りに巡行する山車(やま)が2台展示されてた。大きく豪華でさすがに長い伝統を誇るものだと思った。祭りの様子も映像や展示で紹介され、13の山車を17の町が支えてるそうだが、江差の町の人たちの心意気が想像される。そのとなりには追分会館。歴史から全国大会のようすまで、この民謡に関するさまざまな展示。サッカーじゃないが「追分半端ない!」楽譜もあって歌ってみたくなった。江差追分幻想曲でも作曲してみたいなとも思った。もちろん思い付きだけで実現なんかしないのだけど、チェロかギターのソロ曲に・・・。「かもめの鳴く音にふとめをさまし、あれがエゾ地の山かいな」
飛行機の時間も迫ってたので少し町を歩いてから函館に向かった。
 この絵はニシンや北前船で栄えた商家の横山家の住宅、休館中だったので門から庭をチョロっとのぞいたところ。

朝飯前の新潟古町界隈

新潟古町
 車で北海道をめざす最初のプランでは秋田県まで行く案だったが、それはきつすぎるだろうと新潟で1泊することになった。市の中心部のホテルに夕方について翌朝早く出ることにした。せっかく来たのだからと早起きして周辺を歩いた。「古町」という通り名にひかれて歩くうちに狭いところに飲み屋さんや飲食店が密集しているところに行きついた。夜にはさぞかしにぎやかなところなのだろうけど、さすがに誰一人いる気配もなく、暗く怪しげな感じもしてた。路地をていねいにうろついてからひきあげた。新潟全体の知識も情報も全くもたずだったので、どこを歩いたのかもよくわかってなかったが、出発時間も迫ってたので駆け足でまわった。
 クロッキー帳に試しに買ってみたカーボンペンシルでメモのようなものの描いてみたら、鉛筆より早くかけるし、描きざわりが快適なのでこんな絵をいろいろ描いてみた。この手のスケッチがふだん多いのでこれからも楽しんで使えそう。いいもの見つけた。いったいどのあたりを歩いたのかと記憶を頼りにグーグルマップで調べてみたら、スケッチに出てくる店の看板の屋号で判明することができた。便利なものだ。
新潟古町

えたなの三本杉

せたなの三本杉
 千歳から車で江差をめざす。余市に立ち寄り、宿泊可能な民宿にいくつか電話を入れるがどこも満室とか。ようやく60kmほど手前のえたな町の民宿がみつかったので日本海にそって渡島半島を進む。ついた民宿はおばあさんがやってて、ぼくら以外はみんな仕事での滞在、夕食の最中だった。ビールを頼んだらおいてないので、町の方に自分で買ってきてという。買いに出ようとしたら、となりの席で食事中のおじさんが、自分の買ってあるやつを冷蔵庫から出してきてくれた。山から木材を降ろす仕事でもう1ケ月泊まっていて、雪が降るまで仕事だという。倶知安の人で、冬の吹雪のようすなども教えてくれた。同僚で車の中で亡くなった人もいるそうだ。大阪には息子さんが働いていて、行ったこともあるが都会は苦手だと言ってた。翌朝僕らが起きたころには現場に出ててお礼もいえなかった。ビールもらったからではないが、北海道の人ってオープンで気軽に話してくれるいい人が多いなという感想をもったね、どこでも。
 せたなは日本最初の女医荻野吟子さんがキリスト教徒である夫とともに北海道を開拓し、開業された町で、夜中にその記念碑を訪ねた。明治の前半に医師になったのはまるっきり男社会の中でことで、大変な労苦だったようだ。廃線となった元JR瀬棚駅の跡地だった。奥尻島へのフェリーも出ているこの町もかつてはにぎやかだったに違いない。
 このあたりは巨大な奇岩がよくみられ、せたなの海岸にも「三本杉」という名の高さ30mほどの巨岩が並んでいた。スケッチブックにメモっていたのだが、はみ出て描いたのを捨てがたく、それに彩色したのでこんなことになった。
 

中山道奈良井宿へ

奈良井宿6
 毎年楽しみにしている大学合唱団時代の友人たちとの旅行、今年は夏の信州だ。長野県在住の先輩が世話をしてくださって塩尻に集結、車で周辺を回った。八島ヶ原湿原、諏訪市原田泰治美術館、車山高原など、気心知れた仲間での旅行は実に楽しい。1泊2日もあっという間に過ぎる。塩尻駅で再会を誓って別れてから、奈良井に立ち寄った。ちょうど10年前の同様の旅行の帰りに訪ねて以来だ。その時は松本駅の観光案内所で偶然案内のチラシを見つけて、民宿を紹介してもらって行った。まだ訪ねる人も少なく、朝夕の宿場町の雰囲気は実に静かでおだやかだった。それから10年、道の駅や宿泊施設なども増えて、驚いたことに特急列車も一部停車するようになって、塩尻周辺の観光の中核になってるようだ。その変化に少し恐れを抱いての訪問だったが、日が暮れるまでの2時間ほどスケッチなどして過ごしたが、月曜日とあって閑静で、町の姿は10年前のままだった。
 まだ今回の旅行から時間がたってないので、絵は1枚も描けてないが、10年前のハガキサイズの絵などを載せてみる。この時は感動も大きかったのでたくさん描けたが、さて10年たってちゃんと描けるかなぁ。

奈良井宿2

奈良井宿3

奈良井宿1
たくさんあるので本日はここまで

かつての炭鉱の町夕張へ

幸せの黄色いハンカチ
宿泊先の栗山町から山を超えて夕張町へ。駅の喫茶店で朝食を、と夕張駅へゆくと一日5便、今年度限りで廃線になるという。惜しむ鉄道ファンはたくさん訪れているようで、日曜日とあって十数人は喫茶の開店待ち。ここでのメロンは確かにおいしかった。理由をきいたら、お店の方は「子供のころから食べてますから」と。駅のすぐ隣に大きなホテルがそびえ、財政破綻の町にあってだれが利用するのだろうかと思ったが、あとできくとスキーのリゾートホテルだそうだ。次に石炭博物館へ。かつて遊園地的リゾートとしてやってたのだろうなと思われる敷地内にあった。半信半疑だったが、内容は炭坑や鉄道の歴史、坑道の再現などたいへん優れていて見入ってしまった。近くにさびれたというか廃墟化してる建物も多くみられ閉山して人が去っていった町の寂しさが雨とともに流れているようだった。
映画「幸福の黄色いハンカチ」のロケのセットを残すところにも足を運んだ。炭鉱住宅の中には映画に使われたものも展示してありぼくはなつかしく楽しめた。他にも炭坑関連のところに向かったが、案内表示や観光案内などの充実にはお金はかけられないのだろう、何度も迷ったりした。公共交通機関はもちろんのことだろう。帰りは平地を迂回したので時間はかかったが、麦畑などが続く北海道のドライブは、まさに北の大地そのものだった。
今回スケッチは、「幸せの黄色いハンカチ」ロケ地と夕張駅喫茶「和」。
夕張駅


北へ帰る人の群れはとても無口で・・・

青函連絡船

演歌はふだん聞くことも歌うこともないのだけど、「津軽海峡冬景色」は別だ。青森についてさっそく青森駅へ。大きな駅だと思っていたが、第3セクターの青い森鉄道など思いのほか小さな駅だった。桟橋に青函連絡船の記念館があり、八甲田丸が係留されていた。この絵にあるように列車が積み込まれる部分が保存展示されていて、外から眺めるだけだったが、この連絡船で多くの人がどんな気持ちで海峡を渡っていったのだろう。翌朝、今の津軽海峡フェリーで函館へ。4時間ばかり、長いがずっと海を眺めていた。ここでも中国人観光客もたくさんおられて、みんなにぎやかでした。石川さゆりの歌、阿久悠さんの歌詞、三木たかしさんのメロディー、そしてサックスとオーボエの前奏、どれをとっても最高だ。やってみようかな、おいらも演歌を。

はるばる来たぜ函館

函館元町教会
元同僚の3人で北海道栗山町へ車で向かうことに。さすがに北海道は遠かった。一日目は新潟泊、二日目は青森、そしてとうとう津軽海峡を渡って函館へ。函館山に行ったら「伊能忠敬北海道最初の測量地」の碑。1800年の7月、ほぼ同じ時期、忠敬55歳。こんな生き方いいなと若いころから思ってたけどなぁ・・・・。山から下りたところが元町、山手に並ぶ教会が美しい。全国的猛暑の時だったのでスケッチもきつい、早々にひきあげた。これはカトリック函館元町教会遠景。

久美浜での思い出集

港に帰る
久美浜で描いた絵をブログに集めてみた。何度も行ってるのでいつ描いたものかは定かでない。

浜辺で遊ぶ
遊びだしたら止まらない
5歳のころのこどもたち
先生とこどもたち
民宿でお昼寝
宿舎でお昼寝中
浜辺へ
浜辺へ
久美浜漁港
夕暮れの漁港(ハガキサイズ)
久美浜漁港
雨上がりの漁港

久美浜合宿

久美浜漁港
 西日本の大豪雨が過ぎた後に、保育園恒例の久美浜での夏合宿、付き添いで2泊3日行ってきた。もう40年近く続いていて、僕は最初に下見を手伝ったころの父母だったので、ここだけはベテランだ。今では二つの保育園がいっしょにバスで行っているが、始めたころは電車を乗り継いで行ってた。園児12人に大人6人、うち若いお父さんも仕事休んで二人、これもまた伝統だ。
 朝出発して昼から海へ。その前に海岸を下見したらいつもはきれいな砂浜が漂流物でさんざんな状態。これでは海への期待に胸膨らむ子供たちをがっくりさせるので、お父さんたちみんなで片付け大作戦。せめてこどもたちが泳ぐ部分だけでもなんとかしようと必死で働いた。翌朝浜に行くと町の人たちが総出で重機も出て清掃がほぼ終わっていて、さすがの機動力でいつもの海水浴場にもどっていた。ここは「小天橋」という天橋立のような長い間にできた砂浜だけあって、海流のぐあいで漂流物も集まるそうだ。
 さすがに疲れと腰痛で朝の散歩もパス、夕方にペンでちょいスケッチをするのがせいぜいだった。来年は無理かなぁ。もっとも、毎年そういう感想だけど。
浜辺への坂
民宿から浜へ出る道
久美浜漁港
漁港への入り口

北海道スケッチその3 小樽の人 

小樽運河
 ニセコから修学旅行の帰路に何度か立ち寄ったことがある。もちろんいつも雪景色。明るい小樽は初めて。運河でスケッチを何枚かしたあと、昔ハガキ絵にした建物を見に歩く。観光客がいっぱいのせいもあるが、やはり冬の重さ、暗さ、重厚さと比べると町全体が軽くみえる。団体旅行ではかなわないが、次の機会があったら小林多喜二の資料館などもゆっくりまわってみたい。
 50年前の中学3年の時、担任の先生から「もう蟹工船ぐらい読めるだろう」と大人の階段の入り口の自尊心をくすぐられた。近所の本屋さんに行って多喜二の文庫本を手にした。なにせ国語の教科書くらいしか読書の経験がないので、文庫本をこどもが見てはならない本のように思っていた。つまりドキドキ手にしたのだった。読んでみると、船上のシーンなどこわかったが、おかげで「搾取」や「プロレタリアート」とか、ちょっと早熟か。ついで「一九二八年三月十五日」へ、特高の拷問怖い。おかげで、50年たっても、戦前の社会にもどしてはならないとの思いだけは本能的。
 「小樽の人」に知り合いは皆無だが、この東京ロマンチカの歌のギター伴奏だけはよく覚えていて、調べてみると1967年の曲。なんと中三の時のこと、ギターを始めて夢中の頃だ。それがどうしたの、どうもしないが、ともかく小樽運河を1枚描いてみた。(F4)

北海道スケッチ旅行その2 北の国から

富良野
 富良野に「北の国から」のロケ地を訪ねる。撮影に使用された家屋などが残されているので、ドラマを思い出しながら、といっても詳細に覚えているわけではないが、まず「五郎の石の家」をスケッチ。ぼくらは過ごしよいシーズンに来ているけど、実際に暮らすとなるとその労苦たるやはかりしれない。旅行から帰ってから幕末から明治への北海道開拓をめぐる本を読みあさってるが、想像を絶するというところだ。今頃になって勉強してどうなるの、とも思わないでもないが、この「北の国」の「開拓」の歴史は実に(語弊があるが)興味深い。これは麓郷の森でのスケッチ。手前の道はぼくが無断で「開拓」した。

札幌の北海道庁も。朝だけど赤い星が光ってた。
北海道庁

白老(しらおい)

白老町海岸
 北海道スケッチツアーのあと、白老町に行ってきた。選んだ理由は名前がなんとなくいい、はじめはそれだけだった。宿泊は事前に町の観光案内サイトに、民宿元和やを見つけて予約。理由はHPに「夫婦の長年の夢だった民宿を昨年オープンさせることができました」「古くて小さい宿ですが心を込めて・・・」とあったこと。年配のご夫婦と思い込んでいたが、行ってみると若いご夫婦だった。やさしい感じの温泉に入った後、おいしい料理にサッポロラガー、幸せ気分を味わってた時、食堂には祭りのお囃子、TVには江差の姥神(うばがみ)大神宮のVTR,山車や祭りの資料など。さっそく聞いてみるとお二人がこの祭りについて教えてくださった。ご主人は町の若者頭もされてるそうで、祭りや江差の町に対する熱い思いを語ってくれた。祭りは370年の歴史というから驚き、てっきり江戸時代初めの年号「元和」からとった屋号かと思ったが違ってて大笑いだった。まったくの偶然ながら素敵な宿とご夫婦に出会えて、心から楽しい時間が過ごせた。
  翌朝近くの海岸を散歩、これがその時の絵。海岸ブロックの向こうは太平洋。宿を出て登別の俱多楽(クッタラ)湖へ。湖畔でしばらくスケッチ。その後白老にもどり、仙台藩白老元陣屋資料館へ。幕末仙台藩が蝦夷地太平洋側をクナシリまで警備を命じられてた、って聞いただけで僕なんか心が騒ぐのだけど、解説のボランティアの方が丁寧に教えてくださり、これまた有意義な時間だった。2020年には国立のアイヌ民族博物館がこの地にできるそうだ、また来ようと。
絵はクッタラ湖でのスケッチ。
俱多楽(クッタラ)湖

北海道スケッチ旅行その1 雨にもめげず

栗沢リトルロックヒルズ
先週スケッチ旅行で北海道に行ってきた。小樽・余市・富良野・美瑛と回ってきた。新婚旅行やスキー修学旅行などでの冬の北海道しか経験がないので、雨模様だったとは新緑の中での北の国の風景は美しかった。小樽、といっても知ってるのは運河周辺だけだが、冬の重い雪景色と比べると明るい小樽は軽くてこれはちょっと物足りなかったかな。余市はニッカの工場だけど、試飲のウィスキーがおいしくてすっかりニッカのファンになってしまった。(単純だなぁ) 富良野は「北の国から」で、美瑛は前田真三さんの写真でずっとあこがれてたので、今回の旅は本望実現で満足だったが、違う季節にもまた行ってみたくなった。望みは尽きないものだ。
一枚目は岩見沢のリトルロックヒルズ、英国風の住宅や田園風景を再現したところでスケッチ。F4
2枚目も同じ場所。F4
栗沢ロックヒルズ
3枚目は美瑛の水沢ダム湖から。残雪の山々を望むところで多くの写真家が集うところだそうだ。あいにくの雨で山が見えるか心配だったが、少し好転してきたのでスケッチ可能になった。F4
水沢ダム

my favourite songs

絵以外のことをこのブログに描くのは珍しいがたまにはいいだろう。今度ギターのライブをやることにした。ふたつのことを考えた。ひとつは自分でこれがいいと思うことを自分で積極的にやってみること。これまで声をかけてもらって何かをすることはあっても、みずから企画して実行に移すことはなかった。それでもやれることはいっぱいあったが、自分らしさを求めていく姿勢には欠けていたといえよう。もうひとつは満足のいくような演奏はどこまでいってもできない、できるまで待っていてもその時はこないと思ったことだ。かくして、若気の至り、ともかくやってみる。イサラライブ2018.5
プロフィール

POOR ARTIST

Author:POOR ARTIST
POOR ARTIST「下手でも楽しい」というのが信条です。水彩画や音楽も、アマチュアらしく「描いたり演奏したり」楽しむのが理想です。いろんな分野が混じってますが、ホームページの続きとして始めました。

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