バイオリンの町ミッテンバルト


オーストリア西部のインスブルックから車で1時間ほど北に、ミッテンバルトという村がある。そこはドイツなのだが、バイオリンで有名なところで、今回のツアーで僕としては最も期待してたところだ。イタリアから職人が移り住んでドイツの弦楽器製作が始まったところで、村にはバイオリンの博物館もあって、今のような弦楽器が確立するまでの、ギターとバイオリンの合体したような楽器とかがあって、楽器をめぐる歴史も興味深いものがあった。弾く(はじく)楽器と擦る(こする)楽器、弦楽器のこの2大潮流、甲乙つけ難し。二兎を追う者は一兎をも得ず、だろうけど、ギターとチェロどちらも弾いてると幸福な気分だ。調子がいいと長生きしたくなる。僕の楽器はいずれもドイツなので、このアルプスの谷間の町に足を運んだのは感慨深かった。(絵は22×30cm)

村を望む教会

村を見降ろす教会
僕の一番人気のTV番組「ドキュメント72時間」が成田空港の入国審査を取り上げてた。それで思い出した。オーストリアから帰るとき、飛行機が大幅に遅れ、フランクフルトでの乗り継ぎに間に合わなかった。「too late」と言われ途方に暮れてたら、ルフトハンザのカウンターに行けと教えてくれた。チケットを示して「too late」と言ってアピールしたら、わかってくれたらしく、30分以上ずっとパソコンに向き合って調べてくれて、半日以上遅れるが成田行きのチケットを用意してくれた。荷物の手配と大阪行きの国内便までやってくれてた。さすがドイツ人と思ったが、彼ら航空会社の人にとっては当たり前のことだったのだろう。8時間ばかり待った帰りの便が整備のために3時間以上も遅れた。そのため大阪にもどる便に遅れそうになったが、これも帰りのANAの飛行機のなかで対処してくれた。さすが日本人などと思ったが、これまたあたりまえのことなのだろう。感心することが多かったのと無事帰れたのとで、終わってみれば疲れたがけっこう楽しかった。 (絵はエッタールという村の教会 22×32cm)

安土城址にゆく


 ふと思い立ち折りたたみ自転車をもってって安土城へ。日本史の教員なのに恥ずかしながらまだ一度も訪ねたことがなく、いつもJRや近江八幡からどれが安土城の山かと考えているだけだった。いつも思うが滋賀県は観光に対する姿勢がすがすがしくていい。ガツガツしてなくて今のことばでいうとリスペクトの感じられるものだ。何を言ってるかわかんないでしょうけど、まぁぜひ県内の観光地を訪ねてみてください。駅前の案内所でひととおり教えてもらって出発。すぐに近くの食堂で昼食。和食のバイキングだったけど、これが実に感動的に美味しかった。20種類以上あるおかずがどれも僕にとっては絶品で、ご主人が「おなかいっぱい食べて行ってください」と言ってくれて、そのとおりふだんの3食分ほど食べたくらいだ。もうこれで帰ってもいいなと思ったが、それでは信長公に申し訳がたたないので、結局日没まで城跡や周辺をスケッチしながら廻ってきた。夕食もそこに行こうかと思ったが、昼に食べ過ぎておなかがすかず、あきらめて帰ることにした。絵は山麓の村、左側が安土城。

南ベトナムの村で

ベトナムの村で
 これも年末在庫一掃の一枚で、ベトナムのタム・ガイ村というところ。いわさきちひろさんがベトナム戦争を描いた絵本『かあさんはおるす』の村。こうしたのどかな農村が激しい爆撃にさらされていたのだから、言葉がでてこない。訪ねたのはちょうど2年前の今頃だったが、日差しは強く夏のようだった。

この世界の片隅に

摂津峡
 映画「この世界の片隅に」を観てきた。美しい水彩画のような絵で、絵の好きな主人公のすずさんとその家族が戦争の中で生きてゆく姿をたんたんと描いている、すばらしいアニメだった。ぜひたくさんの人に見てもらいたいと願う。
 原爆投下の広島と空襲に明け暮れる軍港呉がその舞台だ。終戦の頃自分の父親は呉の海兵団にいた。当時19歳だった父は原爆の時広島へ部隊が救援に行ったけれど、上官の食事係でもあったので自身は行かなかったそうだ。でも広島から避難してくる人々の焼けただれた姿のことは子供の僕にも話してくれたことはあった。機銃掃射の様子も聞いた。生死は紙一重。でも子供の理解でしかなかったので、今から思えばもっと父の話を聞いておけばよかったと思うが、致し方ない。
 先日生徒にこんなことを話した。戦争のことなどさまざまなできごとはほとんど他人事かもしれない。実際身内にそうした経験をもつ人は少ないかもしれない。でも人はつらい悲しくひどい経験は語りたくないものだし、幸運にも生き延びることができた人の子孫がここにいるのだと。伝えることは難しいのが当然かもしれない、僕らだって「戦争を知らないこどもたち」って言われてたんだから。
 絵は大阪府高槻市摂津峡 (23×30cm)

インスブルックの町

インスブルックの町
インスブルックというと、僕らは冬季オリンピックを思い出す。この旧市街からも周囲の山にはジャンプ台が近くに見えていた。さぞかし今頃はスキーヤーなどでにぎわっていることだろう。知らなかったが2012年にもユースオリンピックというのが開かれたそうで、記録にはジャンプの高梨さんなども載っている。スキーを始めたのは社会人になってからだが、時間を見つけてはよく近くのスキー場へ出かけたものだ。最近もお誘いがあったが、さすがに無謀だろうと断った。なにせ寝てる孫をおんぶしてバス停から歩いただけでこの腰痛なのだから。

古都ヴェリコ・タルノヴォ


年末在庫一掃の一枚。ブルガリアのヴェリコ・タルノヴォという町。川沿いの狭い山肌にぎっしり並んだ建物。対岸のホテルから眺めた光景なので、正面が一枚の絵のように見えるのは圧巻。日本の鎌倉時代の頃はブルガリアの首都がおかれたところとか。行ったのは2011年のことだから、下書き始めてから何年も放ってたのかなぁ、忘れてしまった。こうした風景、今の日本でも山を削って住宅地を開発して、同じようなものが見られないこともない。それもまた見る位置によっては圧巻なのだけど、あまり描きたいとは思わないかなぁ。現地でペンで走り描きスケッチをしたのはこんなのだった。
tarnovo.jpg


只野習作インドを描く


 「只野習作」とでもペンネームをしようかと半ば真面目に考えたくらい、絵の方はいつも「習作」というやつで、終わってしまう。はじめはなかなかいい感じで進むが、途中のどこかでうまくいかなくなる、その繰り返しだ。描いている途中で止まってしまって放置された絵がたくさんたまっている。年末から失敗覚悟でそうしたものの在庫一掃に取り組んだら、5枚ほどフィニッシュまでいった。これもそのひとつ。2014年にいったインドでのひとこまなので2年も放置されていたことになる。何も絵に限らず万事がこの調子だから、これでは大成しないはずと妙に納得して、次の在庫一掃にかかることにしよう。
  [絵はインド、ジャイプール F6 ]

あけましておめでとうございます


 2017年元旦 明けましておめでとうございます
 中学生の頃から年末年始は、「弾き納め」「弾き始め」とかなんとかいって、いつもギターばかり弾いていた。もう五十年もたったが、今年はそんな年末年始となった。このところ日課のように弾いている楽譜は、昭和46年発行、定価320円の「セゴヴィアアルバム」なるもので、今も弾くたびにその編曲に新しい発見があるのだからえらいもんだ。もっともその発見、すでに書き込みがあったりして、以前に何度も気づいては忘れしてきたことの繰り返しかもしれない。でも現在の自分にとっては、今のそれが大切なことなので、かつてできたこと、わかったことはそれはそれ、また少しずつ弾くこととなる。
(絵はオーストリア、クレムスの町)
プロフィール

POOR ARTIST

Author:POOR ARTIST
POOR ARTIST「下手でも楽しい」というのが信条です。水彩画や音楽も、アマチュアらしく「描いたり演奏したり」楽しむのが理想です。いろんな分野が混じってますが、ホームページの続きとして始めました。

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